【新井信介:「宇治」講演会DVD』】(2017年8月19日開催)

◎ 「ちはやぶる「宇治」の価値」を説明するシリーズのDVDです。

今回は、「宇治から、宇佐、伊勢へと連なる、日本皇室の「権威」の醸成」がテーマです。

解説:

 ‘慍譴涼鰐召陵獲茲蓮◆屮張魅アラシト(額有角人)」が、崇神(ミマキイリヒコ)に会いたいとして、失ってしまった自分の国からここまで訪れたことによります。しかし、そのときすでに崇神はいなく、息子の垂仁(イクメイリヒコ)が応対し、ツヌガアラシトは、このあと、半島の辰韓(新羅)方面に行き、そこに国を持ちたいといいます。垂仁は父ミマキイリヒコの名にちなんで、その国を「ミマナ」と名付けてくれるようにと頼みました。

 若狭湾のこの「地」に、なぜ、ツヌガアラシトが来たのか? 彼の祖国はどこなのか?ここがまず最初の問題です。この地は、伊吹山を含め、息長氏の支配下で有り、高志(こし)の国の前(さき)でした。

◆ゞ綵の宇美で、神功皇后(記が息長帯比売、紀で息長足姫)が生んだ「子」が、武内宿禰(内能阿曽)に連れられて、仲哀の息子達の抵抗を退けながらも、この地にまでたどりつくと(このとき宇治宿禰が支援)、この「地」の神は、夢を見て、それまでの名「イザサワケ」から、「ホムダワケ」に名前を変えて、この「子」に、その名前を与えました。このとき、イルカがあがり、これを、神に対する「御食(ミケ)」に供えました。

 「ホムダワケ」と名付けられた「子」は、再び、塩津街道を通って琵琶湖にでて、さらに、宇治の木幡にいき、そこで、宮主矢枝姫と契って、宇治に都を開いた。これが、応神天皇。

 そのとき、ウジノワキが生まれ、後継者になったが、(ホムダワケの養子となった)長男の大山守を殺害してしまい、大いに悩み、次男のオオサザキ(仁徳)との後継争いがおき、自ら自害してしまった。

 この悲劇は、以後、「悟りのウサギ」の話とともに平安時代まで、ずっと語り継がれていた。

 特に皇極・斉明時代には、額田王は、次の歌を三回も詠んでいる。

 秋の野の 美草 刈り葺き 宿れりし、莵道(宇治)の都の 仮廬(かりほ)し おもほゆ

けЪで都を建てたホムダワケは、欽明(ヒロニワ)時代に、三輪山に本拠をもつ神官の大神比義によって、宇佐の地で、八幡神と認定された。なぜ、宇佐の地だったのでしょう?

 欽明時代の終わり頃の570年に、高志(こし)に、高麗の使人が到着しているのを、ヒロニワ本人が知ると、飾り船を用立てて迎えに行かせたあと、本人は新羅に使者を出したが、その帰りを待たずに崩御した。

 息子の敏達(ヌナクラタマシキ)が即位し、その3年(574)の元旦に、用明天皇と穴穂部間人郎女の息子として、飛鳥の橘寺で、ウマヤドが生まれたことになっている。ウマヤドは、隋書では、倭の大王アマタリシヒコと書かれた。実像は、西突厥のタルドウ。

592年に敏達の娘の額田部皇女が即位する(推古)と、その次が、舒明(諱で田村、和風諡号で、息長足日広額)。隋書ではリカミタフリと書かれた。舒明は初めて遣唐使を派遣した。

 万葉集の巻1に、「天皇 宇智の野に、御猟(みかり)したまうときに、中皇子(なかのすめらみこと)の間人連老(はしひとのむらじおゆ)をして、献しむの歌として、「やすみしし我が大王・・・御執(ミトラス)の・・・」の歌がある。

  反歌は、「たまきわる宇智の大野に 馬並べて 朝踏むすらむ その草深野」

  このときの天皇とは、誰か? 中皇子とは明確に違うが。

η鮃沼爾寮錣い里△箸665年、二月に間人皇女が死去したあと、宇治に唐の占領軍指令官にあたる朝散大夫上柱国の劉徳高が訪れ、閲兵をしている。翌年元旦に、唐では、高宗李治が泰山封禅。

ПШ瓦房凖造造られたのは、首皇子(聖武)即位の翌年、725年で、このとき、ホムダワケは八幡大辰箸靴乍られた。さらに、天平宝勝元年(749)、東大寺の大仏造像で鋳造が終わったあと、表面の金メッキに必要な金の手当が不安になると、金はまちがいなくある、と託宣を出したのが宇佐の女禰宜だった大神杜女。以後、宇佐の神(ホムダワケ=八幡神)は、日本の天皇の権威を裏付ける神となった。

┗Ш瓦琉掬歸な神意は、弓削道鏡の即位問題でも使われた。神護慶雲3年(769)太宰主神(だざいのかんのつかさ)で、宇佐の神官でもあった中臣習宜阿曽麻呂(なかとみすげのあそまろ)が、宇佐八幡神の神託として、道鏡を皇位につければ天下太平になると、称徳女帝に奏上し、女帝を喜ばしたが、これに和気清麻呂が待ったをかけ、宇佐に対する再度の神伺いで、道鏡は認められなかった。これはなぜか? このとき、称徳女帝は怒って、清麻呂を、なぜ、大隅に流したのか?

伊勢の地を持統が尋ねたのは、則天武后の即位に合わせた690年の三月で、このとき、田造りの一番忙しい農作業の時期で、三輪高市麻呂が行幸を止めるよう必死で懇願した。この伊勢行きを、皇国史観では、第一回式年遷宮にしている。そのあとに、伊勢神宮の内宮の造営に入るが、ここでは、皇祖神アマテラスが祀られ、その神域には、天武が祈った、伊雑宮の「太一」は入れない、と境が設けられた。さらに、内宮の前には五十鈴(イスズ)川が流れ、それを渡る橋は、宇治橋と名付けられた。

平安時代に絶対の権勢を築いた藤原道長は、この宇治の地に何度も通い、そこを、別業(べつごう)の地と名付けた。その道長が臨終で苦しむのを見て、息子の頼道は、極楽浄土を願って、その地に平等院を建てた。さらに、その向かいの、かつての応神天皇の都(離宮)の地には、すでに、宇治ニ社があったが、ここに、宇治上神社を設け、莵道雅郎子命 応神天皇 仁徳天皇 の3柱を祀った。

詳細は、ぜひ、DVDをご覧ください!!

販売価格は、「4000円」(瓊音倶楽部会員の方は、「2000円」)です。尚、恐縮ですが、別途送料300円を頂戴します。

全編で、3時間4分(184分)の長編DVDです。

《ご注文やお問い合わせは、担当の室伏までご連絡ください。連絡先→TEL: 03-3548-1025 FAX:03-3548-1026 携帯: 090-5804-5078 E-mail:akimasa-murofushi@jcom.home.ne.jp  弊社HPの「瓊音ショップ」でもご購入いただけます。》

<レジメ>:

1) 宇治の地政学的位置 ・・・塩津街道とは?

2) ツヌガアラシトと、息長。
 古代史の秘密は、魏史倭人伝の「読み」と 月氏(大月氏・クシャーン)
   カニシカ王とミトラ

3) ホムダワケの正体は?
なぜ、宇美で生まれた?  九州にいたのか
なぜ、敦賀でイザサワケから、ホムダワケに? 
「御食(ミケ)」とは?

4) 八幡神とは?
YHWHとMITRA   思想的枠組み(統治)の神と、実在のリアルの神

5) 宇佐神宮は、なぜ、日本皇室の権威になったか?
欽明時代に、宇佐と八幡神が意識された。
このとき、大陸は? 北魏の分裂から北斉。ここに「蘭陵王」
「ウマヤド」誕生と、天皇の神聖さ。

6) 語り継がれたウジノワキノイラツコ
額田王 百人一首
・秋の野の 美草刈り葺き 宿れりし 莵道(宇治)の都の 仮廬し おもほゆ
・秋の田の 仮莆の庵の 苫をあらみ 我が衣手では 露にぬれつつ

  ジャータカ神話「悟りのウサギ」
今生を超える永遠のイノチ。

販売価格は、「4000円」(瓊音倶楽部会員の方は、「2000円」)です。尚、恐縮ですが、別途送料300円を頂戴します。

全編で、3時間4分(184分)の長編DVDです。

《ご注文やお問い合わせは、担当の室伏までご連絡ください。連絡先→TEL: 03-3548-1025 FAX:03-3548-1026 携帯: 090-5804-5078 E-mail:akimasa-murofushi@jcom.home.ne.jp  弊社HPの「瓊音ショップ」でもご購入いただけます。》
  • 4,000円(内税)